描かれた大切な記録

写真には「いのち」が宿っていると言われています。
その人が生まれてから現在までの姿、生き様が描かれた大切な記録が写真です。
その記録を後世、孫子の代まで遺せたら自分が生きていた証になり、自分の人生を輝かせる手段になり得るのかも知れません。
この世に生を受けて、何も成しえずに逝ってしまうことほど悔しく悲しいことはありません。
「虎は死んで皮を残す」と言いますが、私達は一体何を残せるのでしょうか。
一般的には「人は死して名を残す」とされていますが、世界的に見たとき全くの無名の自分だったら何も残せないということになります。
否、実は家族の中で無名となることはあり得ません。
その人が確かにこの世にいたという証が写真であり、折々に撮った記念写真はその人の「いのち」、更に言うと、その人の魂として残すべき財産なのです。
他人にとってどうであれ、家族にとってのその人の命は大切だったはずです。
たとえ天涯孤独になってしまっても、そうなる前は自分にはその人がいたという支えにもなるのが写真だと思います。
夫の母、つまり義母は義父が亡くなった時義父の写真を遺影以外は全て、葬儀の翌日に、いとも簡単に、ゴミ箱に捨ててしまいました。
どうしてそんなことができたのか、いまだに私には理解できません。
自分が死んだ後の遺品整理の時に子供の手を煩わせない為なのかとも思いましたが、それなら私だったら自分の写真も夫の写真と一緒に処分すると思うのです。
子供の為に離婚を思いとどまって生きてきたと明言する義母ですから、義父に対しての愛情が失せてしまっていたのでしょうか。
それ程あっさりゴミ箱に入れてしまった義母の気持ちは、義母にしかわからないのかも知れません。
義母は「本人がいないのに写真があっても仕方ないから」と言ったそうですが、本当にそう思っているのかどうかは確かめようがありません。
でも自分に置き換えた時、自分が逝った後、この世で後生大切にしていた写真を簡単に捨てられてしまったら…その哀しみははかりしれません。
それを思うと、今後写真を撮るのもためらわれる位です。
その写真の裏側に私の人生があったことを理解してもらえないのなら、せめて、そういった写真は私のお棺の中に一緒に入れてほしい、一緒に焼いてほしいと思うのです。
私の人生は、ゴミ箱でなく私と一緒に消してほしいからです。
用意し始めたエンディングノートにはそれも書き残しておかなくてはと真剣に思っています。
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